鎌倉は自然・歴史・流行が共存しています。

今朝は鼻詰まりで目が覚めました。
僕が飲んでいる花粉症薬は中等度の方向けでしたグーグーりょうです。

昨日行った鎌倉、とても素敵な街でした。

鎌倉の歴史

常楽寺裏手の粟船山で1万年以上前の旧石器時代の石器が発掘されています。

源氏とのつながりと鶴岡八幡宮

平安時代に相模守(さがみのかみ)だった源頼義が戦で勝利した際に源氏の氏神である京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう=神仏の分霊を他の場所にもまつること)し、1063年(康平6年)鶴岡八幡宮(元八幡)の社殿を造営しました。

「いい国作ろう鎌倉幕府」と覚えた方も多いはず

12世紀末、源平の合戦で平氏を滅ぼした源頼朝は、征夷大将軍となり、鎌倉に幕府を開きました。
1230年頃、幕府は全盛期を迎え、鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心地となりました。

中国の宋や元との交易も盛んに行われ、禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化がもたらされました。

大仏の造立、建長寺や円覚寺など禅寺の建立が盛んだったのもこの頃です。

衰退と観光地化

鎌倉時代を終え、南北朝、室町時代となると鎌倉は衰退し、農業と漁業の村となりました。

そんな鎌倉が観光地として注目され始めるのは、江戸時代に入り社寺が復興し、参拝客が増えてからです。

1889年に横須賀線が開通すると、モダンな人たちの海水浴場として、別荘地や住宅地として、注目されるようになります。

昭和に入って作家や文人たちが次々に移り住んで「鎌倉文士」という言葉さえ生まれました。
島崎藤村の「春」、夏目漱石の「門」、川端康成の「千羽鶴」は有名ですね!

歴史と自然が共存する街

未来に残す鎌倉の風景

鎌倉市の全市域の55.5%が「風致地区」という建築物の建築や樹木の伐採に一定の制限が掛けられる地区に指定されています。
地区内の建ペイ率は40%以下でなければならず、「植栽を行なうこと」「ヘイは石積みが原則」といった決まりもあります。

さらに、「風致地区」のうち950ha(全市域の24%)は古都保存法に基づく「歴史的風土保存区域」の規則も受けています。
また、そのうち570haは「歴史的風土特別保存地区」とされており、この中では建物の新築が事実上不可能となっています。

このようにして鎌倉の風景は守られているのですね…

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また、遊びに行きたいと思います!

それでは明日も
グーグー!!

プロフィール

グーグーりょう
グーグーりょう
椿坂行政書士事務所で主に外国人業務に従事しています。
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